久々の家族飲み会

  • 2016.05.05 Thursday
  • 16:34
私には息子が3人いて久々に全員揃って夕食を兼ねた飲み会になった。前回トイレの突っ張り棚に登場した長男は酒は飲めないので、次男、三男、私の三人で飲むことになります。兄弟といえども性格的には三者三様。同じ様な環境に育っても、それぞれずいぶん違う人格に成長するものだなと改めて感じた。
他愛のない話の合間に、次男だか三男が「俺の友達の間では、お父さんのこと”仏の義博”と呼ばれているんだ。」などと云い、ひとしきりその話題になった。”仏の義博”それは揶揄する表現ではなく、単純に良いお父さん、良さそうなひとという印象らしい。私としてはただ手放しでは喜べない、ちょっとまずいなという気持ちが頭をよぎります。良い人に思われるのはうれしいことですが、過度に思われるのは良くない。自分を冷静に見ると、それほどでもない買いかぶりすぎだよといいたい。
ただ人の目を人一倍気にする性格は昔から自覚している。その原因は幼少の頃ちょっと複雑な環境で育ったせいなのかはわからないが、昔から親に、「あんたは手のかからない子だった」などと言われたりした。
良いにつけ悪いにつけ母親は長男(兄)に期待を寄せていたようなので、母親に嫌われまい、少しでも愛情を自分に向けさせようと、いい子ぶったりしていたのだろうか。自分にその自覚はないのだが・・・。
吉本隆明さんによれば胎児から幼年期にかけての育ち方や環境がかなりのウエイトでその人の性格や人格などの人間性に影響し形作られるとの内容を記憶しています。
多分大なり小なり誰でもそうなのだろうが、子供のころは親から愛されたい、評価されたい、思春期になれば異性から良く思われたい、周りに見栄を張ることも然りだが、多少背伸びをするのも致し方ないのだろう。最近になってやっと等身大の自分でいいや。むしろ過小評価されているほうが気が楽だなと思えるようになってきました。普段は自堕落でいい加減な人間がときおり垣間見せるさりげなくきらりと光る行動にちょっと魅力を感じます。長男がよく言う、それが正論なのはわかっているけど・・・。や吉本隆明さんが善いことをするときは悪いことをするような気持ちで行うくらいがちょうどいいとの言葉がふと頭をよぎります。
ちょっと前、4月23日に道満公園で撮影した花の写真を載せておきます。

この花は何というのでしょうか。去年も載せて花の名前を聞いた記憶があります。





これはすみれでしょうか。かなり広範囲に咲いていて、種類も多く色がカラフルです。

この世から花がなくなってしまったら、何と味気ない世界になってしまうのでしょうか。

最近では老人の認知症や介護問題がいろいろと話題になっています。
どうせなら最後まで、手のかからないおじいさんとして、
幼年から老年まで一貫して”手のかからない人”で貫き通したいものである。
 
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