本当かよ?
- 2015.02.14 Saturday
- 20:08
先月の18日日曜日に川越市立美術館及び博物館に行ってきました。
目当ては私の好きな画家相原求一朗の絵を見るためです。以前、何かの機会に相原求一朗の絵好きだなと母に話したところ、母のおぼろげながらの記憶によると、母の叔父にあたる人の家の離れを人に貸していたことがあり、その人の名前がたしかアイハラキュウイチロウだったような、しかも絵を描いていたと私に話した。そのとき本当かよと思ったが、実は相原求一朗は川越の出身で川越商業高校を卒業している。母の叔父の家も川越商業高校の近くにあります。もしかしたらアトリエとして借りてそこで創作活動をしていたのかもしれない。その可能性も無きにしも非ずです。母は亡くなってもう確かめる術はありませんが、
普段母の記憶力が良かったのは確かです。
相原求一朗は1918年川越生まれ、四十半ば過ぎに北海道に渡り冬の情景をたくさん描いています。
冬の北海道の風景が心に響きます。川越市立美術館に自作を寄贈しています。美術館の人に聞くと、年に3回彼の作品を入れ替えて展示しているそうです。
秋気澄む.1984年 油彩 130.3×162.1
幸福駅.1992年 油彩 78.5×115.5
題名ははっきり覚えていませんが斜里岳を描いたものだと記憶しています。
こちらの3点の作品は川越市立美術館の所蔵ではありません。あるビルのロビーに飾られていたもので、
前出の母との会話の元になった作品です。
目当ては私の好きな画家相原求一朗の絵を見るためです。以前、何かの機会に相原求一朗の絵好きだなと母に話したところ、母のおぼろげながらの記憶によると、母の叔父にあたる人の家の離れを人に貸していたことがあり、その人の名前がたしかアイハラキュウイチロウだったような、しかも絵を描いていたと私に話した。そのとき本当かよと思ったが、実は相原求一朗は川越の出身で川越商業高校を卒業している。母の叔父の家も川越商業高校の近くにあります。もしかしたらアトリエとして借りてそこで創作活動をしていたのかもしれない。その可能性も無きにしも非ずです。母は亡くなってもう確かめる術はありませんが、
普段母の記憶力が良かったのは確かです。
相原求一朗は1918年川越生まれ、四十半ば過ぎに北海道に渡り冬の情景をたくさん描いています。
冬の北海道の風景が心に響きます。川越市立美術館に自作を寄贈しています。美術館の人に聞くと、年に3回彼の作品を入れ替えて展示しているそうです。
秋気澄む.1984年 油彩 130.3×162.1
幸福駅.1992年 油彩 78.5×115.5
題名ははっきり覚えていませんが斜里岳を描いたものだと記憶しています。
こちらの3点の作品は川越市立美術館の所蔵ではありません。あるビルのロビーに飾られていたもので、
前出の母との会話の元になった作品です。