ご都合主義

  • 2016.05.28 Saturday
  • 19:45
夜空を見上げると月が見えたり、星が見えたり、時には天の川も。
夜空の小さな光や天の川の淡い白い帯が無数の星の集まりだったとは昔の人は知る由もなかっただろう。
考えようによっては、地球が丸いと分かったのだってそれ程昔の話ではない。もし私が当時(地球が丸いと分かる以前)に生きていたら、住んでいる世界は平たいお盆のような状態であると思ってしまうに違いない。さすがにお盆のような世界が巨大な象や亀の上にのっているとは思わないだろうが。
現在でも無数の銀河の宇宙の果てや何でも吸い込んじゃうイメージのブラックホールの中はどうなってるんじゃいと思わざるえません。まだまだ解明されない謎はたくさんあるようです。
只、宇宙に限らず万物において、人間が真実を解明しようがしまいが、全く関わりなく今までも、これからも自然の法則に従い粛々と存在し続けていることがとても興味深く感じられます。
人間の未だ知られざる世界が今もどこかで存在し続けているかもしれません。そう考えると死後の世界(あの世)があっても不思議ではありません。「長いブラックホールを抜けるとあの世であった。」小説の出だしに使えそうです。そこでは亡くなった母や美空ひばりさん、吉本隆明さんたちが楽しそうに談笑していました・・・。妄想がとりとめなくなりました。
最近、毎日のほほんと無意味な時間を過ごしている気がして、何となく気持ちが焦っています。
若い人たちのように、それほどたくさんの時間があるわけではないので、少しでも充実した時間を過ごさなければと思い悩む今日この頃です。本来根が怠け者なので、自分に裏切られてばかりですが、日々しっかり生きているなという実感がほしいところです。この世で頑張れなかった分あの世で挽回とはいきません。なぜなら今一つあの世の存在を信じきれない自分がいます。この世での遺憾の気持ちは生きてるうちに清算するしかありません。只、男女関係においては、気の多い私としては、松田聖子、郷ひろみではありませんが、「生まれ変わったら一緒になろう」は、いいね!を押したい気持ちです。その台詞をたくさんの場面で使ってみたいご都合主義の私ですが、もちろんその勇気がないのはいうまでもありません。
最近撮った写真を載せておきます。
ねこの寝顔はいつ見ても癒されます。

夜は猫と一緒に寝ることが多いです。

全く会えない昔の知人のために、もし見る機会があればと最近の自撮り写真も載せておきます。

昔の友人達、どのような老け方をしているのか精神的にも、映像でも興味があります。

オバマ大統領の広島訪問に大きく気持ちが動かされました。
核兵器廃絶に向けては日本とアメリカ(もちろんロシアも)が主導しなければなりません。
特に被害国であり、核兵器を保有していないに日本は、過激に提案して、過激に実行するしかありません。
 

久々の家族飲み会

  • 2016.05.05 Thursday
  • 16:34
私には息子が3人いて久々に全員揃って夕食を兼ねた飲み会になった。前回トイレの突っ張り棚に登場した長男は酒は飲めないので、次男、三男、私の三人で飲むことになります。兄弟といえども性格的には三者三様。同じ様な環境に育っても、それぞれずいぶん違う人格に成長するものだなと改めて感じた。
他愛のない話の合間に、次男だか三男が「俺の友達の間では、お父さんのこと”仏の義博”と呼ばれているんだ。」などと云い、ひとしきりその話題になった。”仏の義博”それは揶揄する表現ではなく、単純に良いお父さん、良さそうなひとという印象らしい。私としてはただ手放しでは喜べない、ちょっとまずいなという気持ちが頭をよぎります。良い人に思われるのはうれしいことですが、過度に思われるのは良くない。自分を冷静に見ると、それほどでもない買いかぶりすぎだよといいたい。
ただ人の目を人一倍気にする性格は昔から自覚している。その原因は幼少の頃ちょっと複雑な環境で育ったせいなのかはわからないが、昔から親に、「あんたは手のかからない子だった」などと言われたりした。
良いにつけ悪いにつけ母親は長男(兄)に期待を寄せていたようなので、母親に嫌われまい、少しでも愛情を自分に向けさせようと、いい子ぶったりしていたのだろうか。自分にその自覚はないのだが・・・。
吉本隆明さんによれば胎児から幼年期にかけての育ち方や環境がかなりのウエイトでその人の性格や人格などの人間性に影響し形作られるとの内容を記憶しています。
多分大なり小なり誰でもそうなのだろうが、子供のころは親から愛されたい、評価されたい、思春期になれば異性から良く思われたい、周りに見栄を張ることも然りだが、多少背伸びをするのも致し方ないのだろう。最近になってやっと等身大の自分でいいや。むしろ過小評価されているほうが気が楽だなと思えるようになってきました。普段は自堕落でいい加減な人間がときおり垣間見せるさりげなくきらりと光る行動にちょっと魅力を感じます。長男がよく言う、それが正論なのはわかっているけど・・・。や吉本隆明さんが善いことをするときは悪いことをするような気持ちで行うくらいがちょうどいいとの言葉がふと頭をよぎります。
ちょっと前、4月23日に道満公園で撮影した花の写真を載せておきます。

この花は何というのでしょうか。去年も載せて花の名前を聞いた記憶があります。





これはすみれでしょうか。かなり広範囲に咲いていて、種類も多く色がカラフルです。

この世から花がなくなってしまったら、何と味気ない世界になってしまうのでしょうか。

最近では老人の認知症や介護問題がいろいろと話題になっています。
どうせなら最後まで、手のかからないおじいさんとして、
幼年から老年まで一貫して”手のかからない人”で貫き通したいものである。
 

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